≪人生街道マッシグラ!≫
  
 今にして思えば「一般知能」という科目と関わる因果は、遥か記憶の彼方、東京は山の手の名門S幼稚園時代に遡るような気がする。その在籍中に受けた「知能テスト」で全国歴代1位のトンデモナイIQ値をたたきだした為(たぶん偶然?笑)それまで泣き虫園児のレッテルを貼られていたその本人の意思とは関係なく、ここに入学すればわずか6才にして東大合格一直線のレールに身を置くことになる伝統の超難関東京教育大付属小学校をお受験させられ、当たり前のごとく天晴れ合格した結果、幼いながら親戚中の期待の星となったが、その後、両親の仕事の関係で東京を離れ転校を重ねることとなり、様々な環境で色々な趣味を持つ友人と知り合う中で「思想」でも「異性(笑)」でもなく真っ先に『音楽』に目覚めるという幸運をまとい、九州は福岡に流れ着いたああ青春の始まり中学1年生の夏休みにそれまで貯めたお小遣いで当時音楽少年達あこがれの「SONY SKYSENSOR 5800」という珠玉の3バンドラジオを手に入れたのをきっかけに、文字通り寝ても覚めても1日中音楽に特にロックに没頭する生活を送ることとなっていく。。。          

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 中学は当時から福岡屈指の上位校百道中。入学して最初の模試ではあたりまえのごとく学年1位。しかしその後は勉強そっちのけで音楽の世界にのめり込むほどに成績は急降下。当然そんな音楽小僧が入るには入った高校時代の学業成績もジリ貧一直線で高3の時受けた全国模試では忘れもしないこれで一生脅迫のネタにされるのではないか冗談抜きにというくらい最低の順位にはさすがに落ち込み涙するが、それでもその現実を受け入れないままに第一志望は志高くノーベル賞目指しての京都大学(笑)。しかしもちろんその時点のそんな学力で高い希望はかなうはずもなく予定調和の浪人生となった後は親戚の手前もありおのれに最低限の勉強を課した末、偏差は低いもののなんとか花の東京の国立大学工学部に合格する。しかし、本来の希望学部でなかった云々抜きにして当たり前のごとくここは俺の居場所にあらずと悪態三昧の末、親を泣かせ不届き者のそしりを受けながらとっとと中退を決めてしまう。その後天衣無縫天涯孤独を気取るつもりか全国放浪の旅をする中、初心貫徹自分の道は堂々やはり音楽にありとばかりに音楽の都、当時日本のリバプールとも呼ばれていた九州は福岡に舞い戻り腰を落ち着けることとなったのであった。そして類は友を呼ぶの格言よろしくあの桐明孝治氏など才能溢れるミュージシャンを輩出したことでも知られる地元の私立大学に音楽仲間を作りたいばかりに誘われるままほのぼのとあらためて入学しいくつもの音楽サークル所属を通じて知り合ったプロミュージシャン達とジャズロックバンドなぞ結成して自分もいっぱしのミュージシャン気取りでライブハウスで演奏活動を行うようになっていった。

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 そんな仮面大学生兼ミュージシャン気取りの生活を続ける中、ある日ひょんなことから偶然出会った武道の達人である超人的師範代のもとで何故か突然音楽とはまったく異なる分野、精神と肉体を極限まで鍛錬する直接打撃の流派に身を置いて研鑽を積み、毎日の乱取りで満身創痍ながらも道場に通い続けるという今となっては二度とできないような過酷で貴重な経験を同時に積むこととなったのは運命のいたずらとしか言いようがないが、文武両立ならぬ武道と音楽の二足の草鞋(わらじ)をなんとか履きこなしているうちにいつのまにか無事4年間で大学卒業できたのはほとんど奇跡だったと今でも音楽仲間内での語草。そしてその後これ以上親を泣かせるわけにはいかぬならぬの浪花節精神でどうせ就職するのなら当時最も脚光を浴びていた花形職業である「システム・エンジニア」というカッコイイ肩書きの誘惑に魔が差したように某大手電機メーカーのコンピューター部門に速攻就職を決めると配属先の技術部でSE・コンピュータープログラマーとして全国チェーン規模のPOSシステムやら大学病院の医療検査システムなどの構築に携わることにより世間知らずの音楽野郎から名のある企業に勤めるまじめな社会人へと華麗なる転身を遂げたかに思える日々が続いていった。

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 しか〜し、天啓再来!ある日ある朝突然に音楽の神様の声が聞こえた〜!と叫ぶやいなや、このまま過ごせば順風満帆将来安泰間違いなしの安定した職場にササッと退職届を放り投げるように提出し、脱兎のごとくスーツとネクタイを脱ぎ捨てるとまるで取り憑かれたように自身の音楽の道の原点である音響学をアカデミックに極める術を求めて数カ月、地味ながらその世界で少なからず逸材輩出で名を馳す九州芸術工科大学大学院の門を叩くことに決めるやいなや入学早々その道の大家の音響設計ゼミの教授面々と激論をかわしつつ人間の聴能形成を主題に音楽や音響が身体に与える影響効果の客観的な計量数値化を課題に脳波と音響周波数スペクトルの連関理論確立のため連日研究室に泊り込みまるで水を得た魚のようにフーリエ解析の鬼(笑)と化していったが、最終的には、音響心理学を基軸に音楽療法のための環境音響の設計を論文テーマとして様々な医療公共施設や自然環境をフィールドワークしながらそこに自身の創出した楽音の調べを共生させるというまるで音響彫刻家とでもいうべき芸術魂と音響学が融合した世界観を基軸に据えたサウンドアーティストの道を歩くこととなる。

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 そんな己の道の追求に時間を忘れる中、ふと現実に目を向けるとあわれ大学院学費のための貯金も底をつき、修士取得も難しくなっているという現状がわかっていながらも元来の夢であり目的であった自分だけのための「理想のレコーディング・スタジオ」の設立資金を得る為に、いわば単なるアルバイトとして始めた予備校講師の仕事がまさにまさにこれぞ正真正銘我が人生の分岐点。そう、「人に教えること」の面白さにまるで流々落ちゆく滝つぼの底に文字通り吸い込まれるように激しく急激に怒涛のようにはまってしまったのである。これこそが運命の分かれ道。これ以上頭を使ったことがないというくらい沸点モードを超えてまで深々熟慮の末「これもまた天啓だ」と思い切りよく本人もびっくりするほどあっさりと方向転換。すぐに当時携わっていた放送局での選曲や番組制作など音楽関係の仕事をすべてキャンセルして、急転直下「教壇一筋」となる。その後多くの素晴らしい先生方との出会いにより幼稚園児から小中学高校大学社会人までのあらゆる学年レベルの指導に携わり早十余年。幾多の予備校や塾などで教壇に立つ機会を得てひたすら経験を重ねる中である時期に非常に(というか異常に)レベルの高い教育事業の環境に身を置く機会に恵まれたことが今の僕のポジションと方向性を決定的にしたのだが、特にそこのトップ講師であった恩師K先生の授業論や解法論に深く感銘驚嘆し、自分の限界を追求することこそ真のプロ講師であると目標を掲げ「受験指導・授業カリキュラム作成・問題解法研究」をひたすらひたすら追求し続けて、何千回の講義を行う過程で何度もブレイクスルーを果たしつつその強烈にオリジナリティあふれる解法はいつからか「超高速解法」と呼ばれるようになり、直接指導していた予備校の生徒達はもちろんのこと塾生の保護者を通じて著名な数学者の方から賞賛のメールをもらうなどするに至っては、ますます調子に乗ってとうとう当時時流のインターネットに進出して見よう見まねでホームページを立ち上げるといきなり全国区。その後メールマガジンを発行すればあっという間に5000人が登録し、自作DVD50本セットを販売すれば予約殺到。そして初めての参考書としては異例の2冊同時出版を果たし、その出版社に毎日送られてくる本当にこちらが感動するような読者のみなさんの感想文を読むほどにおそらくは求まれし伝道者としての評を博していることを自覚することとなっていった。

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 現在は、普通のプロ講師レベルを圧倒的に凌駕することを示すため「超プロ講師」の肩書をプレッシャーよろしく自らに冠し、インターネットでの最高のeラーニングサイト構築を目指してまずは全国の受講生からの質問メールに石盤美響の対応をすべく深夜早朝までキーボードをまるで北斗のケンシロウのごとくアタタタタタ〜と(笑)打ち捲る一方で、沈思黙考熟成鍛錬を繰り返し「超高速解法」をさらに進化前進させることに全身全霊全力を注入中。そして当面は、これぞ待望まさに満を持して門外不出の解法を公開する「超高速解法マスター講座」の受講生を全員合格に導くため普通ではちょっと考えられないような「ありえないサポート」を大げさでなく命がけで提供する覚悟。またそれと並行してリアルな世界でも予備校や大学・短大の学内講座の非常勤講師として、また小学生の子どもたち相手に町の小さな寺子屋スタイルの塾などでクールでそしてちょっとオチャメな「授業」を毎日目一杯行っているあまりに過密な我が黒革のスケジュール帳に目を落とすときその過酷さの中でいかにハッピーな気分でいられるかが自分の調子のバロメーター。座右の銘は「世のため人のため」。一日一杯と決めているコーヒーブレイクだけが唯一の楽しみでもかまわないと軽やかに嘘吹きつつ人生そのものを超高速に駆け抜けながら栄輝精悍、志高く「解法道」を極めんとする男の人生ここにあり。笑


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